AppleWatchを買って2週間以内に見極める
退屈だったので、前々から気になっていたAppleWatchを買ってみた
コンパクトなのが好きなので、38mmのサイズ
Apple Watch Sport 42mmスペースグレイアルミニウムケースとブラックスポーツバンド
- 出版社/メーカー: アップル
- メディア: エレクトロニクス
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税込みで4万ちょっと
まあまあ高い
やはりこれを買って何に使うかというと決済だろうか
あと、イヤホンで音楽聞いてるときの次曲送り、音量調整かなあ
アクティビティは別に不要である
購入動機ポイントは以下の2つだ
- 決済機能
- 音楽の操作
2番めの音楽の操作はイヤホンにそのボタンがついていれば必要ないのだが、完全ワイヤレスイヤホンAmpsAirはボタンがないので、次曲送りと音量調整がiPhoneじゃないとできない
Sol Republic AMPS AIR フルワイヤレスイヤホン Bluetooth ゴールド SOL AMPS AIR GLD 【国内正規品】
- 出版社/メーカー: Sol Republic
- 発売日: 2016/12/21
- メディア: エレクトロニクス
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通勤時にはかばんに入れているので取り出すのがめんどうなのでどうにかしたかった
あと、決済機能はiPhone7だったらそれを使えばいいのだけれども、サイズ感が嫌いなので、iPhoneSEを使っている
iPhoneSEには決済機能がない
それをこれでどうにかしようというのだ
Suicaは財布に入れているので、そのまま財布でタッチすればいいんだけれども、通勤時にはかばんにいれているので取り出すのがめんどくさい
本当に必要なのか、使ってみないとわからないということで、買ってみた
一応保険として、アップルストアで購入
2週間以内なら理由関係なく、使用していても返品が可能
失礼だと思うが購入時に店員に確認済みである
Appleが自らそういう制度を設けているので返品することに罪悪感は正直ない
2週間使ってみて、自分にとって不要であれば返品しようと思っている
またしばらくしたらレビュー書きたいと思う
豊洲問題の住民投票案の可能性について
豊洲問題ではっきりしない移転問題を住民投票で決めたらという案の噂があるらしい
小池知事が言い出したのかしらないが、どっちにしてもこれが実行されるとするならば、自分が考える女上司の特徴を表すことになるなあと思った
もしやるとしたら相当ひどい話である
情報が少ない住民が決められるわけないじゃないか
マスコミの報道とそれに対するイメージでしか判断できないではないか
じゃあ情報をすべて公開しますと言ったらどうか
そんなもの隅々まで見るわけないじゃないか、となる
結局イメージでしか投票できない
昔女上司についてそのクソさを書いたことがあったが、僕が出会ってきた女上司はもれなく責任はとらない、もしくはとる度胸がない、少しでも回避しようとする人しかいなかった
決断ができないのだ
いや、気持ちはわかる、他人のケツを拭くのも嫌だと思うし、巻き添えを食うのも嫌だと思う
しかし、役職者とはそういうものだという観点から見ると、それはしょうがないこと
そのための一般よりも高い給料、権限をもつのだから
給料と権限だけはいただくけど、責任とか決断はしないよということであれば愚劣である
住民投票をするとしたら、小池知事も結局はこの特徴を持っていたとなり、残念である
というか自分の中の女上司の特徴の考えがより強固になる
都知事の権限で決断してほしい
それが仕事であり、そのための情報はかき集められる立場にあるのだから
自分なりの答え
生きる意味やら、生きがいやら、どうしたら満足して死ねるかとか、これからの生き方をどうしていくのが自分にとって心地よさをもたらすのか、ここ最近本を読み他者の考え方を見たり、何回もどうしていくべきかと考えたりしてきた
「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)
- 作者: 泉谷閑示
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/10/21
- メディア: 新書
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上記含め、それ以外の本の知識の蓄積と、悶々と思考を巡らせてきた結果、
もう少しで答えが出そうな感覚がある
言い換えると、もう少しで心の底から理解できそうな気がする
知るのと理解するのは違うと思っている
本を読んだり、考えるというのは、知るということであって、心から理解しているとはいえない
それらが蓄積し、または類似の経験をすることで、感覚で理解するようになってくる
それは本の書いている内容と同じかどうかはわからない
しかしどの本にも共通する点というのはある、それは真実に近いものだと思う
そういう段階にもう少しでたどり着きそうな感じがある
もやっと、いや、ふわっとするような自分なりの答えに近づいている感覚がある
頭ではなくてもっと心に耳を近づけて心がどうしたいのかを理解したい
しかし、頭がそれを邪魔してくる
頭の言うことにはもう散々従ってきたから、君の番は一旦終わりにしたい
心の言うことが聞きたい
頭はその次に構えて、物事をサポートしてくれればよい
心に従うことが冒頭に述べたことについての、自分なりの答えにたどり着くと思う
もう少しだ
禊
部屋の掃除に熱が入り、不要なゴミを見極め軽い断捨離を行った
掃除してなかった部分も掃除して、ほこりっぽい部屋を改善した
空気清浄機も買って恒久対策もした
家具のレイアウトも変更し、部屋の模様替えも行って、今まで気に食わなかった部分も改善するために、いろいろと購入した
数年間そのままだった布団カバーも、新しく購入して変更した
色々買ってここまでの改善で約2万使った
2万でかなりのリフレッシュとなった
部屋の大部分を改善し、心機一転となった
掃除、購入して変える作業と結構疲れた
ゴミも大量に出た
禊は終わった
人間の生活について考えること
前も書いたけど、最近よく考えるのは、死ぬ間際人生に満足した、もしくは特に後悔はないと思えるにはどういう生活をしていけばいいかということ
数年前までは成長できる職種や仕事について自分を高めていきたいという、意識高い気持ちを持っていたけども、果たしてそれをすることで最後に満足できるだろうかと考えたら、はっきりしないけど、なんというかそうでもない気がしている
それは仕事を人生の一部から除外してしまうような考え方になってしまったからのような気がする
なんというか仕事を人生の充実の要素として見ることをやめたというか、やめるようになってしまったというか
とにかく世間で言われるような、こうすることがいいんだということに対して疑問を持ってしまう
友人は多い方がいい、海外にたくさん行ったほうがいい、早起きした方がいいとか、これをしなければならないとか、これをしないと損だ、これをするとお得だとか
前まではそれに対して大して疑問ももたず、そういうもんだと思いながらそうなれればいいとか思っていたけど、ここ最近はそういうのを見る度、それをやることで最後に満足できるだろうかと考えると、そうでもないんじゃないかと感じる
それは本質のようで、本質ではないような感じがしてくる
なにかと死ぬ間際どう思うだろうと想像してしまう
歳のせいなのか
なんなのか
最近よく思うこと
最近の芸能ニュースで清水富美加が取り沙汰されているが、
彼女は最後のブログで、たぶん仕事が苦痛なのが原因で書いていたのだと思うが、
生きている気がしませんでしたという文章を書いている
出家とか周りの迷惑とか細かい事情は置いといて、仕事が苦痛で生きた心地がしない毎日を送っているというのは、なんだかとても共感した
彼女とはまったく状況も年齢も異なることだらけで同じではない部分が多いと思うけれども
自分も仕事が全く面白い面を見出すことができず、その他いろんな原因でとても苦痛である
さっさと辞めてしまえばいいんだけども、自分の弱さゆえできない
しかしこう毎日が辛いのが続くと、生きた心地がしてこなくなっている
なんというか感情が死にかけている、いや、もう死んでいるかもしれない
とりあえずサラリーマンなんで、このまま我慢し続けたら、まあまあ給料はもらえて、運よく定年まで働けたとして、その後何が残るだろうかとよく考える
もちろん我慢し続ける中で、いつか転機が舞い降りて、盛り返すということもあるかもしれない
でもいつになるかはたまた訪れるのかはまったく予想がつかない
定年まで苦痛だったとして、いよいよ解放された後、自分の気持としてどう思うんだろうって想像する
幸いお金には困らなかった、でも25年〜30年生きた心地がしなかった
そんな風にならないだろうか
って考えると、自分はいったい何をしているのか
何のために生きているのかとなる
お金のためにどこまで我慢し続けるべきなんだろうか
たぶん自分は極端に考えすぎなんだよなあとは思うものの、
自分はいったいどうしたら生きている心地ってやつをまた感じられて毎日が楽しくなるのか
答えがでないし、わからない