哲学しようぜ
はてなブックマークに上位に上がっていたニュース
最近よく人はいつしんでもおかしくないと思う日々で、このニュースを見てやっぱりそうなんだなあと思った
被害者は63歳の男性。どんな人生を送ってきたのかは知らないが、彼の63年の人生の最期は牛丼屋だった。(決して彼の人生を嘲笑っているのではない、蔑んでいるわけでもない
何かを目指して、何か義務を果たそうとして、なにか仕事をしてではない。
ただ、食事中に酔っぱらいに注意をしただけだ
こんな理不尽なことがあろうか
・・・・人はいつしぬかはわからない
ここでやっぱり僕は人生について哲学してしまうのであります
例えば、大企業に勤めているとして想像してください。
仕事はつまらなく興味を持てない。やる気が無い。人間関係もうまくいっていない。出世もない。精神的に限界。しかし、大企業に所属できているいま、どうすべきか。
未来は誰にもわかりません。
ポジティブに考えれば、我慢して勤めていれば環境も変わりやる気も出るかもしれない。辞めなくてよかった、そう思うかもしれない。辞めてたらもっと悲惨な状態になっていたかもしれない。
ネガティブに考えれば、しかしそれはいつ?果たしてくるのか?それすらもわからない。定年まで結局金のために我慢した日々でした、となるかもしれない。日常楽しいと思うときはなく、休日は平日の精神的疲労を回復するだけの日々。
やる気はないため、評価はされない。そのため推薦できないため異動も出世もできない。そしてやる気はさらになくなり・・・負のスパイラル
あの時辞めて違うことに挑戦してみればよかった。しかしそう思うも自分はすでに60歳。
やはり未来は誰にもわからない。
我慢を続けたとして、定年までなんとか勤めてたとしよう。
振り返った時、 そこに浮かぶのはどんな感情でしょうか
そもそも人生って何なんでしょう。
この奴隷制もない世の中。世間体等のために、我慢し続けて大量の自分の時間を費やすことに、日々を過ごすことが金をもらえるからといって本当に幸せといえるのか。
このニュースを見た時、なぜか以下の記事を思い出したんです。
ある意味、人生って退屈じゃないですか。自分で楽しもうとしないと面白くはならないというか。私、予定調和はすごくイヤなんです。自分が飽きちゃうから。退屈なままで人生を終えたくない
仲氏の視点から見ると、上記の例に挙げたような人生って、例え大企業にいたとしても
きっと耐えられないと思うに違いない。
(別に皆が仲氏のように考えないといけないとも思ってはいない
然し皆はいうだろう。もったいない、安定を捨てるなんてなどなど。
疑問に感じないのだろうか。
いつしぬかわからないのに我慢し続けることに意味はあるのかと
いや、いつしぬかわからないからこそ、安定したいと思うのか
家族とか抱えてるものがあるならそれを守るために自分の人生がある、と思うのなら、それも一つの答えとは思う
自分はいまだにこういう人生の哲学的なことを考える。そして考えても答えはないことは知っている。
それを見て年配や同年代の人はこういうだろう。
いい年こいて、いつまでそんな青臭いこと考えてるんだ、現実を見ろって。
でもそういう人にこう聞いてみたい。
あなたは頭がちぎれるようなほど自分の人生について考えたことあるんですかと。
それともあえて考えないようにしてるんですかと。
または、考えた結果、そういう意見なのか。
答えはなんでもいいけど、年取ったり、突然何かあってしぬときに自分の人生を振り返って後悔しないようにしてくださいねと。
そしてそれは自分にも言える