適当になる
だんだん適当になってきているのを感じる
ありとあらゆることに
適当に働いて、適当に飯を食い、適当に寝て、適当に転職して、適当に本を読み、適当に死んでいく
頑張る人に差を付けられても、別にそれでいいんじゃないかと思うことが多くなった
こういう時都合よく思い出される言葉は
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
暇つぶしなんだから適当に自分の好きなようにやればいいと思う。
いちいち周りはこうだから合わせないととか、ああならないとだめだとか、感情を矯正しながら、耐えながら、生きていく
そういうことの重要性は理解しているが、別にそんなことにいちいち、ずるずると捕らわれなくてもいいんじゃないか
世間の目から結婚しないといけないとか、したいんだったらするべきだし、どっちでもいいなら、どっちかにすればよい。
こうならないから他人に認められない、でも、こうすることは自分一人の力じゃないため難しい、だから感情が苦しい
苦しまなくてもいいと思う。認められなくてもいいんじゃないか、自分がやれる範囲のことだけやっていたら、自然と認められる時が来るかもしれない。来ないかもしれない。来なければ来ないで来なかったと思えば良い。そこで苦しいとか思う必要はない。
周りを気にしない。これは結構楽に生きてく上で大事だと思った。
おしまい。