人生の果て
なんでこんなに老人臭い考えをしてしまうのか
もういろいろやることやったし、まいっかと思ってしまう時が多い。
例えば女遊びとか、比較的まだ若い今しかできないことだってたくさんあるはずなのに。
今やっとかないとあのときやっとけばよかったなって思うだろうって予想できるのに。
でも、もういろいろと経験したし、外国とかはまだ大して見れてないけど、ま、いっかなんて思ったりしてしまう。
そして、いつもどおり、本を読んだりして満足する。仕事に邁進しないで、少しのんびり休養したいと思う。
なんで。なんでなんだろう。
そんな話をした相手から、暇だからそういうこと考えたりしちゃうんだよって言われた。
そうなんだろうなあって相槌をうった。
たしかにそうなんだろう。
しかし、しかし、暇だから考えてしまうことなら根本的にそれは問題になっているんじゃないのか。
それを見て見ぬふりをして、結局年取ってから、暇になって、また考えるんじゃないのか。
考えても正解はない。ただ、暇だから考えてしまう、なら、忙しくして考えずに突っ走ろう、それでいいのか。
それでいいんだ。
たぶん。
おれは考え過ぎなんだ。病的なくらい考え過ぎなんだ。
未だに、なにがしたいのかとか、自分の人生が充実するには何が足りないのかとか、考えてしまう。青い鳥症候群になってしまう。
やっかいだよ。
とくに何も考えずに、世の中のいわゆる一般的な考えにしたがって、みんなと歩調を合わせ、いわゆる「普通」になるのが一番いいんだ。
ま、でも、おれは考えてしまうんだろうなあ。
死にたくないけど、命をかけるくらいの覚悟をもって、人生の選択をしていきたい。
失敗はいやだけど。
自分の最終的な希望は死ぬときに、とくに心配事もなく、ま、いっかと思えること。
これに向かって選択していかないとなあ。
こうなったら考えて考えて、気が狂うくらい考えて考えて限界を突破するまで考えてやる。なんて思ったり。そして限界を突破した時、悟りを開くんだろう。
どんな悟りなのかはわからない。